中古住宅が選ばれない第3の理由〜不動産業者のモラル

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(写真:堂島川の商品先物取引があった場所、2020年3月筆者撮影)

私の友人でゲストハウスを将来所有したいので、中古売物件をいろいろ見ている方が、私にこんな事を言われた。「中古物件の中で一番たちが悪いのは、不動産業者が買取り再販している物件よ」。つまり、不動産業者は中古物件を安く仕入て、表面的な見える部分だけ安価でリフィームして、駆体や配管など見えない重要なことを隠して、素人の買主に本当の価値を説明せず、素人に高価に売りつける悪質な業者ばかりだ、という意味だ。

当社は、2020年2月に大阪市福島区で売り出されている中古戸建全部の物件43件を、地価公示と路線価から土地の価格を算出し、建物の構造から新築時の建設費ー減価償却費を算出した。木造の建物は20年で価値がなくなると言われているが、40年くらいに思える。また、近年の安倍黒田の金融緩和政策により価格が異例に上がったこともある。結局、原価法で算出された各中古物件価格よりも、かなり高い水準で売りに出されている。

中古物件を実際に内覧してみると、センスの良し悪しの差はかなりあるものの、リフォームが概して綺麗に手を加えられている。金利政策などいろいろな要因があるので、不動産業者が悪質なのかどうかまだ明らかではないが、中古戸建物件の価格は高く、売れる水準には見えない。長期間売れ残るだろう。駆体、耐震性、配管のインスペクション、修理をきちんとやっているのか不明である。恐らく素人が見えない部分に手を加えていない。私の友人の「不動産業者悪質論」は、だいたい当たっている。

当社の事務所は堂島川沿いにあり、ここでかつて米相場があり、世界で最初の商品先物取引という信用経済が生まれた。アジア諸国があいついで欧米列強の植民地となる中で、日本だけが独立を堅持して資本主義経済を発展させて近代化を達成し得たのか? 18世紀の大阪で生まれた信用経済システムが、欧米に負けない近代化を成功させたのである。

借金証文の不払い事罰則の文言 「満座の中にてお笑いくださるべく候」→ (訳)もし私がこの借金を返済することができなかったら、大勢の世間様の前でお笑いの晒し物にしてください。

信用と名誉が担保物権だった。倫理的信用が、経済的信用の基礎であった。そして信用経済が発展し、経済的価値が生まれた。商業手形、為替手形、手形割引、有価証券、先物取引、銀行業務は、倫理性に起因して経済性を生み出す。

中古物件は、駆体の状態、上下水道の配管、耐震性、断熱性、法的問題点がないか、そして何よりも売買価格が適正なのかどうか、情報開示Disclosureが求められる。宅建士は、重要事項説明を義務づけられているが、欧米と比べて情報開示Disclosureによって買主が安心して契約できるように未だ成熟していない。

 

 

 

Amishの住宅建築〜創作のコミュニティ

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(Photo by randy fath)

10年前に、私はニューヨークから車でペンシルベニア州のLancasterというAmishの里に旅をした。

Amishとは、アメリカ各地に数十万人ほど居住している。スイスなどから移住して来た白人の敬虔なクリスチャンで、電気やガソリンを使用しない。電話は、一地域に一個だけ共有しているようだ。連絡を取る場合は、ローカル紙と、手紙と、広場に座って顔を合わせて話すしかない。

石油を使わないので、自動車がない。代わりに、バギーという馬車か、自転車を利用して、買い物に行く。そのため、食料品店には、馬車の駐車場があった。少しくらい車があるかと思ったが、彼らは徹底してガソリンを使用しない。宗教的な取り決めがあるからである。Amishがなぜ地下資源を使わないのかは、最重要ポイントだが説明が長くなるので、ここでは住宅建築に議論を絞りたい。

普通の工務店に住宅建築を依頼すると、多くの下請け業者を使うため、コストが高くなるが、Amishは、村の男たちが集まって協力するため、大幅にコストが低くなる。というより、建築費ゼロなのだ。

経済学に比較優位の法則という理論がある。面倒くさいことをする手間は、お金を払って外注した方が合理的だということ。日本の農産物は高いので、中国や途上国から安く買った方が良い。だから日本の農業はいらない、などと言っている政治議論が日本にある。

紀伊國屋門左衛門は、美味しいみかんを和歌山で非常に安く仕入れて、船を使って嵐の中を輸送し、江戸で非常に高く販売することに成功して巨万の富を得た。

Amishの住宅建築は、経済学の比較優位の法則の正反対を選択している。経済合理性と、人間性は一致しない。日本の戦後の高度成長期から現在もまだ続いている新築住宅を優遇する政策(建築規制、住宅ローン減税、新築の優遇税制等)は、比較優位の法則に基づいて正しく、国全体の経済成長、景気刺激という点で合理的である。

経済学的に定量的に分析すると、我が国の若者の所得の低下と少子化、新築住宅を購入できる中産階級の貧困化を考慮に入れて計算すると、Amishの比較優位の法則の正反対の方が、21世紀の成熟型日本経済の環境下では、むしろ今、定量的に考えても経済合理的だと説明できるに違いない。経済学者の研究に期待したい。

 

 

 

 

中古住宅の「時間」とは何か(3)〜若いアーティストのコミュニティ

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(写真:中崎町 2020年3月3日撮影)

大阪市北区中崎町は、古い長屋をリフォームして、おしゃれで個性的な店が点在している。スウィーツやカフェの店で、女の子のみが寒い外で行列を作って長時間並んでいる店が少なくない。女の子たちは、スマートフォンを見ながら店の場所をみつけて、列の最後尾に近づいて来て並ぶ。これら小さな個性的な店は、インターネットを通じて、彼女たちは情報を得る手段を持っている様子だ。

JRの高架を越えて、新御堂筋を西側に超えると、建物はだんだん大規模になるので、個人のアーティストが手を加えることができる規模でなくなってきて、味もそっけもない都会のビル群だけになる。中崎町の長屋は、間口が昔よく街にあったタバコ屋の窓口くらいしかない店も多い。しかし、小さい建物ほど、アーティストが手腕を発揮することができる手頃なサイズとなる。

古い長屋は、大阪市内にも多数あるが、中崎町ほど若い人が集まるコミュニティはあまりない。ここには、renovationの「コミュニティ」が存在している点に注目するべきである。建築のアートが好きな人は、料理のアートも好きだし、古着をアートするのも好きな傾向がある。そのため、中崎町は、若者がお金をなるべく節約して、クリエイティビティを自由に発揮できる「場」となっている。

ニューヨークのブルックリンのロフトがこのような若者アーティストの「場」である。ブルックリンでは、かつての工場をrenovationして、若者が個性的なリフォームをして自分の住宅を手作りで作る。道に廃棄されている気に入った家具を持ち帰ってリペアして再生する。パリのモンマルトルの丘は芸術家の場所としてもっと盛り上がった地域であったのだろう。

岐阜県の白川郷の合掌屋根は、村人たちがお互いに助け合って「結」というプロジェクトごとにボランティア組織が結成される。屋根葺き名人と、「結」をまとめる村リーダーが現場をまとめる。工務店に施工を依頼したら千万とかかる工事を、お互いに助け合うことで、お金を浪費することなく、厳しい豪雪の冬を越すことができる。

アメリカのペンシルベニア州のLancasterには、Amishという敬虔なクリスチャンの村がある。電気やガソリンを使わず、馬車と自転車で移動する。彼らも家を建設する時は、村の男が集まり、助け合って力を合わせて現場作業をしている。Amishの屋根工事の光景は、日本の白川郷合掌屋根工事の光景と、全く同じだ。

歴史は、進歩発展して前進しているという「歴史観」が一般的である。科学技術が進歩することによって、素晴らしい未来が切り開かれると信じている。しかし、中崎町のrenovation、ブルックリンのrenovation、白川郷の屋根葺き工事、Amishの建築工事から、21世紀の日本の住宅は「歴史」のベクトルは、20世紀の逆さまになるだろう。進歩発展することが素晴らしいと考えることを、やめた方が良い。

 

 

 

中古住宅の「時間」とは何か(2)〜歴史と保守について

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写真(大阪市北区中崎町、202033日撮影)

アメリカ人は、innovationが優れている。シリコンバレーでは、最先端の技術が開発されビジネスが社会のダイナミズムを作る。一方、イギリス人は、アンティークの価値を尊ぶ。イギリスでも産業革命が大量生産の工業化の時代があったが、ウィリアムモリスのArtsCrafts運動が代表する中世への回帰があった。

Modern の語源は、model = 「模型」である。プラモデルPlastic model の素材のプラスチックは、自由自在な造形ができるので、非常に便利な素材だが、言わば美容形成外科のようなものである。本物ではないので、脆い。だから新築の建築物がいつまで価値を持続できるのか疑問である。

西部邁は、本当の「保守」とはprescription「薬局の処方箋」と説明した。つまり、保守とは過去を盲目に追従することではなく、今、この現実の問題を解決しなくてはいけない直近の課題に対して、我々はどう判断するべきか? ABか? その妥当な判断は、歴史によって証明される。つまり、歴史とは「バランス」の実証実験であって、したがって医者が患者にしい診断を下すprescriptionが、歴史であり、西部が言う本物の「保守」である。

仏教では「中道」と言い、中国では「中庸」と言い、ギリシアでは「メディア」と言った。古代の世界の異なる地域で、同じ思想が別々に生じた。これらは、AとBのどちらが良いか?という時、真ん中を選ぶべきだ、と言う意味である。

では真ん中とは何か? (A+B)/2 = 「中道」「中庸」「メディア」ではない。

AとBはいずれも両極端であり選ぶできではない。しかし、両極端の数学的な平均値でもない。正解は、「ほどよさ」「適当」「妥当」「ほどほど」である。

そしてこられは、歴史の経験の積み重ねによってのみ「道」が見えてくる。

中古物件は、過去の人の汗と、自分の汗の対話がある。過去の人が、「この家は、こうしたらいいよ。」「この家は、苦労したよ」と語りかけ、「いや、僕はこうした方がいいと思う。」「1日ペンキを塗ってみたら、足が今も痛いよ」と自分は語り返す。

建築物は、完成された結果ではなく、そこに至るまでのプロセスに意義がある。

今回は、やや哲学の議論になったので、今度は具体的な事例をあげてわかりやすく説明して行きたい。

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